妹尾 裕介  【Series1】『次世代観光大使』って、それ何?

「熱意は分かった。けど、何をしたいのか、よう分からん」

 成功した大人たちは口をそろえる。

 妹尾裕介が熱く語るワールドは、大人たちが生きてきた世界の外にあるのだろうか?

 そのオーディションは梅雨の晴れ間、屋外にいるだけで汗ばむ真昼に、市民プラザの屋外に設営されたにわか仕立ての野外ステージで始まった。

「若者の力で吉野川市を元気にしたい、自分の強みを活かして、このまちの良さをPRしたい、そんな想いを抱く個性豊かな若者が、今日、ここに登場します。厳選された10人の候補者です。今日、ここで選ばれた3人が、『次世代観光大使』候補生として3カ月間の研鑽を積み、この秋に吉野川市の公式な『次世代観光大使』に任命されることになります」

 主催者側は責任者も司会もスタッフも若い。スチール椅子の審査員席に座るのは、主催者代表の妹尾裕介、奇抜・カワイイ装いのファッションインフルエンサーの葵、車椅子インフルエンサーとして世界を飛び回る中嶋涼子、この春まで全国最年少・徳島市初女性市長として話題を集めた内藤佐和子、そして2期目に入った吉野川市長の原井の5人。最年長が45歳の原井市長という、こちらも個性豊かな若いメンツだ。

「エントリーナンバー1、浅川雛さん」

「私はニーズに合わせたイベントの企画から広報、当日の司会まで、オールラウンドで運営できます。大阪のイベント会社で経験を積んだのち、フリーランスとして全国を飛び回っていましたが、ふるさとの川島が恋しくて帰ってきました。毎朝、窓を開けて吉野川を見下ろします。外の世界を歩いてみて、美しいふるさとに気がつきました。ここで子育てをしたい。そしてこのまちの暮らしが楽しくなるように、私の強みを活かして吉野川市を多彩なイベントで盛り上げたいです」

 プレゼンの先頭を切った浅川は、ブライダルや婚活などの司会を数多くこなしてきただけあって、滑舌もいい。吉野川市には著名な観光地はないが、彼女はまちの魅力を山と川、田畑、こぢんまりした町並みの織りなす日本らしい田園風景に見いだし、そこを舞台にした住民と一緒に楽しめるイベントを企画し、「帰りたくなるまち」「覗いてみたくなるまち」にしたいと考えているようだ。

 審査員席からは市長が浅川の具体的な経験について質問し、短い時間ながら候補者の特技とやりたいことの輪郭が見えてくる。候補者は数分間で自分の持ち味とやりたいことを凝集してPRしていく。

「エントリーナンバー2、吉野蕾さん」

「私は吉野川市の出身ではなくて、もっと山間部の那賀町で生まれ育ちました。もちろんそこも美しい素敵なところですが、ここ吉野川市には自分たちで地域を盛り上げようという仲間がいて、とても心強いし、何かできるような気持ちになれるのです。現在はWEBデザイナーとしてフリーランスで仕事をしていますが、そのスキルを活かしてこのまちの素敵なスポットをもっと紹介したいです」

 大正モダンな着物姿が初々しく映る女性は吉野川市在住ではないが、裕介が運営するコワーキングスペースが同市も網羅しているため、そこのメンバーである彼女はすでにこのエリアが第二のふるさとになっているようだ。

 ほかにも2人が市外からの参戦組だ。遍路装束の男性は大阪から来たという。都会で暮らし、四国八十八カ所を巡った経験から、この小さなまちに彼ならではの魅力を見いだしていた。

「地元の人に聞くと、『ここは、何にもない』と言うんですけど、そんなことはない。心ひかれる場所がいっぱいあります」 

 親しみやすい大阪弁のPRは説得力がある。

「どこが一番印象に残っていますか」

と市長が尋ねる。

「潜水橋ですね。あの橋から眺める吉野川、川を挟んで両岸に連なる山並み、最高です」

 そこは日本最大の川中島である善入寺島を通過する潜水橋で、第10番札所の切幡寺を出て次の藤井寺に向かう途中にあり、かつて暴れ川と呼ばれた吉野川の川風を間近に感じながらゆっくりと歩いて川を堪能できる道となっている。近年は若い巡礼者も増え、国内外からの遍路が列をなして歩く姿も、ちょっとした風物詩となっている。

 徳島県の東西にほぼまっすぐに流れる大河、吉野川。その中流の南岸に位置する吉野川市は豊穣な四国山地に抱かれ、川の北にはなだらかな讃岐山脈を眺める。朝、川沿いの土手を歩けば、四季折々に美しい。

 候補者の一人は画家かつ音楽家として活躍する地元のアーティストで、自ら描いた吉野川市の風景画を披露し、美しいハープで「ふるさと」を奏でた。ポップな雰囲気をもつ青年が描き出す郷里の美が、どこか懐かしく、時代を超えた「日本のふるさと」を感じさせた。

 元気パワーで会場を沸かせた候補者もいた。ダンサーの女性はダンスで地域を元気にしたいと迫力ある踊りを披露した。

「すごくかっこよかった」

と、審査員の女性は息を呑んだ。

 手作りのギターを肩に提げた若いママは、
「大人が楽しくないと、子どもも楽しくない」

と、ママと保育士の賛歌を歌った。保育に携わる彼女は、保育士さんや子どもたちの様子をママにたくさん伝えて、一緒に支え合う楽しい子育て環境にしたいのだという。

 他にもゴミ問題を熱く語る社会人1年生もいれば、バーチャルでまちのPR動画を見せる者もいて、聴衆は汗を拭きながら多彩なプレゼンに見入っていた。聴衆といっても、人のつながりで集まった数十人にも満たない数ではあったが。

 最後の候補者は民族衣装に身を包んだ女性だった。

「私はパキスタンの出身です。親の仕事の関係で子どもの頃に徳島に来ましたが、そのときはまったく日本語が分かりませんでした」

 流ちょうな阿波弁は聞く耳に心地よいが、徳島に来たばかりの頃は言葉の壁に加えて文化や習慣の違いに戸惑い、心に壁をつくってしまったという。

「友達もいなくて、自分に自信をなくし、いつも下を向いていました。でも、その殻を破ってくれたのは、気に掛けてくれた周りの人たちのやさしさです。話をしてみると、少しずつお互いが分かってきて、仲間ができて、いつの間にか徳島が大好きになっていました」

 自信を得た彼女は、今では徳島を紹介するテレビ番組でレギュラーをもつほどの「徳島通」となり、インターナショナルな視点で徳島の良さを語っている。

「今、吉野川市にもたくさんの外国人がいます。地域に溶け込めなくて、孤独を感じたり、苦労している人がいっぱいいるはずです。私はその架け橋になりたい」

 真っ直ぐ前を向いた主張に、ひときわ大きな拍手が巻き起こった。

 こうして10人が演台に立ち、それぞれに熱弁を繰り広げ、審査の結果3人の候補が選出された。『次世代観光大使』候補者選出オーディションはまずまずの成功裏に終了し、裕介はまた一つ自信をつけた。

 ところで、このイベントに吉野川市はまったくお金を出していないし、今後も観光大使に何らかの補助金を出す予定はないという。イベント会場でもお金の話は一切出なかった。よくある行政主導の取り組みではなく、裕介たちがイチから企画し、オーディション開催と選出後の研修のために、裕介はクラウドファンディングを実施し、ゼロから資金を集めたのだ。

 そのクラファンで彼等は謳った。

『夢や目標をもった勇気ある若者が、
吉野川市をその舞台として
「自分のなりたい姿」をここで描き、
 地域から応援される存在を目指します』

 自分たちが勝手にプロデュースするのだという。市長は応援メーセッジを載せ、ファンドは「ふるさと納税」を通じて実施し、市内外、県内外の応援者を募った。

 その噂は地元出身者などにじわじわと口コミで拡がり、東京や大阪からも寄付があったが、このときも反響は微妙だった。

 東京で事業を営む大人は言った。

「元気は買う。けど、どうやってビジネス化するのか、分からん」

「イマイチ、やりたいことが見えん」

「もしかしたら、ありきたりに国際展示場でふるさとフェス開くより、別のインパクトが期待できるかもしれないけどね」

 世代の違いは、経験の違いだけでなく、生きた時代の違いや感性の隔たりもあり、賛同者も「まあ、やってみたら」と距離を置いた応援だった。それでも目標額の100万円は超え、自力で企画を遂行することが可能となったのだった。

 一方、若い世代の反応は違っていた。「ギャラの保証がない企画」に、予想以上の応募があった。企画立案者の原田翔平は、「いったい何人の応募者がいるだろうか」と当初は不安だったが、周囲の若者を巻き込んで、何度もディスカッションを重ねるうちに、手応えを感じるようになった。

「何のためにやるのか」

「どんなことが可能なのか」

「自分たちはどんなまちにしたいのか」

 『大使』は3人と決めていたが、3人だけの活動ではない。彼等を水先案内人にして、みんなでまちに関わろうという、それは地元で生きることを決めた若者たちのムーブメントでもあった。

「なりたい自分になれるまち」

「夢を追い続けることが許される場所」

 中高年には絵空事のように聞こえるが、むしろ彼等には前世代が語る「成功譚」のほうが空々しく響く。

 オーディションの最後にゲスト出演したラッパーが、挫折の日々を語り、オーディションに落ちては家路に向かう重い足取りを振り返り、歌っていた。

「なんて情けないんだろ、そう思った自分が、今は情けない」

 彼はこのまちで家族をもち、子どもを育てながら、ミュージシャンを続けている。
 会場で一部始終を見ていた60代の男性は感想を聞かれて、首を傾げた。

「まあ、これから、彼等が何をやるかだね」

 数日後、その男性は「彼等が市から受けるのは、口先の支援と便宜だけだ」と聞かされて、少し心証が変わった。市のお墨付きをもらうことで、地域の人たちの安心感と自分たちの責任を明確にするが、収益は自分たちの知恵と努力で引き出すのだという。

「それはすごいね」

 男性は本心から言った。未知数であることに変わりはないのだが。

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