妹尾 裕介  【Series5】次の目標は行政や地域との連携、その先のGOALは「awake!の消滅」 終わりのない旅に魅せられて

 awake!の活動の広がりは多くの人を驚かせた。徳島県全域から人が集まり、会員同士の交流やイベントも頻繁に実施され、経営面でも安定している。50人を超えたあたりから、場所も手狭になり、一人一人をフォローするには限界を感じ、会員拡大を制限しているほどだ。ビジネスの成功例として見る人もいて、同じような拠点を複数展開してはどうかといったアドバイスもあるが、裕介にその気はない。

「『ゆりかご』のまま、『心地の良い居場所』として多店舗展開してはどうかと勧められたりしましたが、それはawake!の収益に貢献できても、会員のためになるかというと、ちょっと違う気がします。もちろん、各地でいろんな人が新しいグループをつくって支え合うなら、それはすごく良いことですが、僕の役目ではない」

 会員の3分の1がすでに独立しているため、FUKU-GYO-LIFEは彼等を支える業務委託の窓口機能をもち、ネットを通じて全国規模でフリーランスの人たちにもクライアントにもつながり、実際の業務が行われている。

 こうして事業が動いていくと、世代を跨いだ関係も増えてくる。感性の違いが首をもたげるたびに、自分たちの世代と親世代の違いと共通点はどこにあるのだろうと考える。

 父を振り返るとき、真面目な努力家だったと思う。若いときには夢やなりたい自分像もあったようだ。しかし競争が人の価値を決めてしまう社会では、思ったランクに届かなかったとき、自分を責め、夢をあきらめたのだろう。「負け犬は努力と能力の欠如。一念発起して勝ちにいかなければ、生きる価値がない」と、本気で考えていたのかもしれない。だから息子がベンチを温めるだけの存在になっているのが耐えられなかったのだろうか。

 父に限らず、親世代の人たちは「勝ち抜く」といった言葉が好きで、そのために「汗をかく」姿を賛美するようだ。しかし、彼等の全盛期にも負けた人はいたはずだ。敗者にも同様に明日は来る。競争が本当に社会を豊かにする原動力だったのだろうか? 失った大事なものもあったのではないか? 

 裕介が阿波市に用意した場所は、競争に勝つためのトレーニングセンターではない。むしろ競争に馴染めない人たちが別の価値観で集まった空間だ。

「人に感謝される仕事がしたい」

「ありがとうと言ってもらえると、やりがいを感じる」

と彼等は言う。

 彼等の間で収入が問題になるのは、やりがいのある仕事を継続するための条件であり、やりたいことを実現するためのツールであり、その意味では重要だが、目的にするほどの魅力は感じていない。名誉欲や虚栄心も「自分がやりたいこと」に比べると、取るに足りない。出世欲など他人事で、豪邸や高級車より心を許せる人とのつながりに価値を見いだす。若い世代が「自分探し」や「やりがいのある仕事」に求めているものは、先人たちが築き上げてきた社会の論理からは逸脱しているかもしれない。

 一方で、そんな自分たちの活動に理解を示し、応援してくれる年配者もいる。安く事務所を貸してくれて、好きに使わせてくれる大家さん。ごちそうをしてくれて、若者の話を聞いてくれるまちづくりの先輩たち。駆け出しのフリーランスに仕事を紹介してくれる経営者。変化を期待して、若輩者たちの背中を押してくれる年配の人たちの存在はありがたい。

 2024年の春、裕介は友人とブラジルを旅した。仲良くなった留学生が母国に帰国していて、彼の案内でブラジルの人と土地に触れ合う旅だった。そこは治安も悪く、貧富の格差も桁外れだ。ゲートにライフルを持ったガードマンが立つ豪邸もあれば、水道さえまともに使えず、今日の安全も明日の生活も何の保証もない日々を生きている人たちの姿があった。そこで裕介は人々に会い、食事をごちそうしてもらい、家に泊めてもらって、共に歌い、踊った。圧倒されるほどのエネルギーを感じた。

「毎日を必死で生きているんですね。その日、その時を、精一杯楽しんで、今、その瞬間を生きている。とても衝撃を受けました」

 ブラジルの旅は、人が生きることの原点を考えさせられるものだった。

 帰国後、裕介は次のステップを踏み出した。地域や行政と連携して、エリア単位で若者支援を展開しようというのである。

「僕がawake!でやってきたことは、自主的な支援グループを運営することです。民間でやれる範囲ですから、規模的には限界があります。必要な若者すべてに支援を広げたいと思えば、やはり行政とタイアップするのが一番効果的でしょう」

 例えば吉野川市では、移住だけでなく、二拠点・三拠点生活のような定期的に市を訪れる関係人口を増やそうとしている。それに対してFUKU-GYO-LIFEではノマド人口とのネットワークを形成してきた。awake!の会員間のネットワークは顔の見える関係だが、それ以外にもネットを通じて全国のフリーランスやITノマドたちとのつながりも広がっている。在宅業務の領域が拡大したことも追い風になり、いろんな地域の暮らしを体験したいノマドには、ネットでおしゃべりしている知り合いがいて、ワーキングスペースがあり、地域のおもしろそうなイベントにも参加できるとなれば、しばらく滞在する価値はある。また、彼等との交流は地元の若者にも刺激になる。

「外から来た人と一緒に、ふるさとの良さを再発見できるような機会をたくさんつくりたいんです」

 外の世界から見ることで、初めて気づくふるさとの良さがあることを裕介の仲間たちは実感している。それは単なる郷愁でなく、この地域に存在する可能性を感じているのだ。

「例えば外国から来た人に自分のまちを案内して、素敵なまちだと褒めてもらえたら、子どもたちも自信になると思うんです。僕たち若者が中心になって、地域の良さをアピールできる催し物をどんどん企画し、いろんな世代の人にも参加してもらいたいです」

 すでに初夏に決定した『次世代観光大使』の候補生たちも研鑽を積み、行政とのタイアップ企画が次々と持ち上がっている。連係プレイに拍車がかかりそうだ。


 この年、吉野川市では地元有志によって8月16日に鴨島駅前で阿波踊りが開催された。駅前通りには屋台が並び、踊り子と見物客で通りが埋め尽くされた。迫力ある太鼓の響きと軽やかな踊りのコラボレーション、独特のリズムと踊り子たちの見事なパフォーマンス。車椅子を押してもらって何年ぶりかの盆踊りを楽しむ高齢者の姿もあれば、祭りの気分を楽しむ中高生のグループもあり、昔日が戻ってきたかのような賑わいだった。

 鴨島駅前商店街は吉野川市の中心にあり、かつては映画館もあるほど賑わっていたが、高度成長の終焉と共に静かに衰退していった。破れたアーケードから雨の滴が落ち、人通りはなく、薄暗い通りは昼間でも一人歩きは気が引けるほどだった。

 そんな寂れる一方だった商店街も、ここ数年、変化が始まっている。移住者の若い夫婦が営むホステルやおしゃれな店舗がポツリポツリと姿を現し、駅前ではまちかどコンサートが開かれ、市民プラザの前では退職組を中心としたおじさんたちが幼児向けのイベント広場を運営したりと、いろんな世代のいろんなグループによる「まちおこし」が顔を見せている。あちらこちらで思い思いの取り組みが活性化すると、まちが元気になっていく。

 今、awake!の中心メンバーは秋以降の本格的な行政とのタイアップ事業に向けて着々と準備を進めている。彼等が目指しているのは、若者にとって最高に魅力的なまちだ。

「自分のやりたいことをやらせてくれるまち」

「夢を実現できるまち」

 そのためのサポート体制や支え合う環境を、自然豊かな吉野川市で実現したいと思っている。そしてこの地域には、若者のチャレンジを温かく見守ってくれる優しい人がたくさんいる。

「それができたら、もう、awake!はいらないんです。はじまりの場は、もっと若い世代が自分たちでつくればいい。行政のバックアップがあって、自主的な活動がやりやすい環境ができれば、みんながそれぞれに得意なこと、好きなことを仕事に活かして、まちを盛り上げていけばいい」

 このプランは裕介の中では十年計画だ。そして、その先は?

「う~ん、もう、ここにいないかも。世界中を旅しているかもしれないし、どこかで、一生懸命生きていたいと思います」  【完】

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bcj-tokushima
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