森本 博通  【Series4】コロナ禍に、『助っ人』は人と人をつなぐ地域コンサルに

 軍資金を手にした『助っ人』は、50万円の予算で9月に『助っ人祭』を開催した。参加者は障がい者10人。事前に徳島新聞に紹介記事が掲載されたこともあり、問い合わせの電話も殺到し、当日は250人の来場があった。一推しのピアノ演奏は、一度音を聞いただけで完璧に演奏できる龍一の軽やかな調べが会場を沸かせた。

「イベントのときに、ぜひ演奏してほしい」

といった、うれしい依頼もあった。

 1ヶ月後には詳しい記事が社会面に掲載され、営業に弾みもついた。軍資金の余りで障がい者専門求人情報誌を発行することにし、準備を進めていった。新規事業が動き始めたのだ。アルバイトとの二足の草鞋は脱げずにいたが、前に進んでいる感触が楽しかった。

 年が明けて2020年1月、障がい者求人情報誌『助っ人』を創刊。61事業所の広告を掲載し、新聞にも取り上げられた。事業として形になっていったことで、障害者雇用施設のアドバイザー業務や講演依頼なども入るようになった。また、クラファンで知己を得た東京の会社から地域おこし事業のスタッフとして業務の依頼があった。どちらも本業とリンクこそすれ、対立するものではなく、新しい取り組みなので気分も高揚した。少しアルバイトを減らして本業に注力できそうだった。創業から1年、追い風が吹き始めたかに見えた、そんなときに、舞い降りてきたのはコロナという世界を変えるパンデミックだった。

 この年、2月に入ると連日連夜テレビは新型コロナウイルスの脅威を報道するようになっていた。横浜に寄港した「ダイヤモンド・プリンセス」から感染者が見つかり、船は3711人の乗客・乗員を乗せたまま隔離された。乗客は感染に怯えながら狭い船室で昼夜を過ごした。14日の検疫の間に200人余りの感染者が見つかり、病院に搬送された。大半の検査が終わり、陰性の人たちはターミナル駅まで専用バスで移送され、それぞれに公共の交通機関を使っての帰宅が許された。海外からの乗船客には各国のチャーター機が手配された。

「新幹線で帰らせるん? こんなんで、ほんまに平気なん?」

 すでに死者が報じられている。
 ひろみちには福祉関係の知人も多く、福祉や介護、医療の現場は感染症に影響を受けやすいため、早くから不安の声が聞こえていた。不安は的中し、感染なしとみなされて帰された乗客から感染者が出た。そのうちの1人は徳島の方だった。
徳島のような地方の町では人の口に戸を立てるのが難しい。誰が言ったともなく、人物が特定されてしまう。そんなときは、「排除」と「共助」の両方が首をもたげる。最初に際立ったのは、「排除」の頭だった。感染者の自宅に卵が投げつけられたという噂が広がった。徳島の感染者数は少なかったが、数人の感染者が県外で感染していたことから、人の流れを制限しようと県庁の職員が県境の幹線道路に配置され、県外ナンバーの車をチェックした。この行為が、県外ナンバーへの誹謗中傷や嫌がらせを生んでいると新聞やテレビで報道された。挙げ句の果てに、他県のナンバープレートを使用している人を対象に「県内在住者です」というステッカーが売られるなど、徳島の排他的でこっけいなイメージができていった。

 ひろみちは腹が立った。

「徳島には優しい人がいっぱいおるのに、こんな悪いイメージ持ってほしいない」

 同じように心を痛める人や感染者への同情の声が聞かれた。4月から始まったロックダウンでモノの不足や生活必需品に困窮する人たちも出てきた。店頭からマスクやトイレットペーパーが消え、価格が高騰している。県外や海外からの大学生は実家に帰省もできず、アルバイトもなくなり、感染の恐怖と明日の生活の両方に不安を抱いていた。

 仲間内から声が挙がった。

「こんなときこそ、助け合わないかんのとちがうん」

 そう、助っ人が、助っ人として、立ち上がるときだった。ひろみちはこのとき障がい者の助っ人から社会の助っ人に舵を切る。

 2020年5月、地域コンサル助っ人は『助けたい×助けられたい』助っ人プロジェクトを設立し、徳島の心優しい人たちから寄付を募り、ロックダウン下で困っている人たちに生活必需品を届ける事業を開始したのである。

 最初に耳にした「困った」は、医療機関でのマスク不足だった。ドクターや看護師に不可欠な不織布マスクが足りないという。一方で布マスクは手作りのしゃれたマスクが出回り始めていた。そこで思いついたのが、布マスクとの交換でみんなが持っている不織布マスクを回収する方法だった。協力を申し出てくれたのは榎本峰子さんだった。障がい者福祉事業所を運営する彼女は、スタッフと布マスクをたくさん製作して地域に配布した。そのころはコロナ感染と人の目を恐れて屋外での農作業や自家用車の運転中にもマスクをする人が増えていた。そういうとき用にリユースの「藍染めマスク」を渡し、余分にある不織布マスクをもらった。購入ルートがあったからとダンボールで不織布マスクを寄贈してくれる人もいた。助っ人のすばやい動きで医療現場の「困った」に対応したのである。


 次に考案したのは『友情ボックス』だった。都市部では生活困窮者への食糧支援が追いつかないと報じられていた。身近なところでも、子ども食堂がオープンできず、必要な人に支援が届かなくなっていた。学校や職場も閉鎖されて、一人一人がバラバラになってしまっていた。『モノ』と『人』のつながりの両方が不足しているのだ。

「お母はんからの宅配便みたいな、愛情と思いやりを箱に詰めて届けたい」

 それが『友情ボックス』だ。
 県内の事業所や友人に声をかけて、食料品を中心に寄付を募った。ボックスの中にはお米やレトルト食品に加えて、お洒落な布マスクやお菓子も入れた。「支援物資というよりギフト」と位置づけて、「もらってうれしいもの」にこだわった。箱の表には大勢の人が手をつないでいるイラストが描かれている。「もらった人が、明日も頑張ろうと思えるきっかけになれば」という思いが込められたギフトセットになった。

 プロジェクトの活動が新聞で紹介されると、より多くの人から寄付の申し出があり、支援の輪が広がっていった。徳島大学や四国大学の学生にも届けた。四国大学ではキャンパスで直接留学生たちに届けることができたのだが、不慣れな土地で不安な日々を過ごしていた彼らは、地域の人たちの思いやりに触れて、本当にうれしそうな笑顔を見せてくれた。

 彼らに届けたのは日和佐産の新米だ。ひろみちの祖父と父と、親子三代で育てた自慢の米。91歳の祖父の元気が宿っているからと『百歳米』と名付け、じいちゃんの顔が米袋のイラストになっている。そんな徳島の自慢の特産物を、学生や一人親家庭、大阪のホームレス支援団体、コロナに感染して外出できない人などに届けることで、「友情の輪」を広げようとしたのだ。『友情ボックス』が触媒になって、やさしさの連鎖が起きていく。活動が新聞やテレビなどで紹介される度に、知人友人から連絡をもらい、『友情ボックス』と『助っ人』が徳島の優しさのちょっとしたシンボルになっていった。

 2020年、世界中がコロナ禍とその対策に明け暮れた年、『地域コンサル助っ人』は地域の人たちを巻き込んで、助け合いの輪を広げたのだった。

「人と人がつながれば、町は活性化する」
 ひろみちが得た確信だった。

苦味も噛みしめて、一歩前に

『助っ人』の取り組みが障害者雇用と助け合いの両方で頻繁に取り上げられるにつれ、地域フォーラムの司会役や福祉関連施設での講演依頼が入るようになった。ラジオパーソナリティーのゲストとして呼ばれるようになった。さながら徳島の善意と期待の広告塔のようだった。

 やっと本当のスタートラインに立てた気がした。一番やりたかった障害者雇用の推進に向けてギアアップだ。

 振り返れば起業から2年、実はけっこうしんどかった。コロナ禍で彼が示せたのは、「一人じゃない」「諦めないで」「つながっているよ」という気持ちを伝えることだったが、できなかったこともたくさんあった。

 彼のフィールドは福祉関連だ。障がい者施設、高齢者施設、医療現場などにたくさん友人がいた。最前線でコロナと闘っているエッセンシャルワーカーだ。

 ある保健所に勤務する友人は疲弊していた。睡眠時間を惜しんでコロナ検査に明け暮れる毎日だが、聞こえてくるのは「遅い、保健所はなにをしているんだ」と批判の声。役所の他の部署から応援が来るが、彼らもまた疲れていた。

 看護師の友人は子どもがいじめられないか心配していた。保育園では家族が感染すると子どもを見てくれないという。理解はできるが、では、子どもはどこに預けたらいいのか? 仕事上の使命感と母親としての感情で引き裂かれそうになるという。

 高齢者施設勤務の知人は強いストレスにさらされていた。認知障害がある人にはマスク着用も「ここから出てはいけません」も通用しない。高齢者に感染させないようにスタッフは「絶対感染するな」と言われるが、どうしたら「絶対」回避できるのか誰も知らない。

 ひろみちはけっこう聞き上手なので、いろんな声が集まってくる。コロナ禍も2年目に入ると行政の対応もずいぶん改善されたが、時間がかかった。すぐに手を取り合える地域のつながりが希薄になっている。行政頼りでは間に合わないことがいっぱいあった。

 「地域おこし」の取り組みも、いったん頓挫した。吉野川市のコワーキングオフィスを地元の人たちの手で運営しようと、まちづくりを進める法人から企画立案の依頼があった。ひろみちはそのオフィスでホスト役を務めていた妹尾裕介君と協力して、地域の若者たちのたまり場をつくろうと考えた。そこに就職や起業、副業の情報も集めたい。サポート体制もつくりたい。まずは敷居を低くして、「あそこに若い人たちが集まって、なんか楽しそうなことしとる」という空間づくりを目指し、予算や年間スケジュール、スタッフ配置を練り上げた。そしてプレゼンも成功し、無事業務も受託できたのだが、最後に依頼者と思惑が食い違った。会社として事業を管理しようとする会社と、若者たちの自主性や主体性を最大限尊重しようとする自分たちの姿勢とは、微妙に、しかし決定的にズレていたのだ。

 やむなくこの事業は辞退し、若者支援のたまり場構想はいったん後退したが、舞台を変えて妹尾君が引き継いでいく。次なるヒーローの登場である。

 障害者雇用の面では、コロナ禍で経済が停滞するなか、実際の雇用拡大は難しかった。徳島はコロナ前から駅前や商店街に人通りが減り寂しい限りだったが、2020年には駅前のそごうが撤退し、デパートのない県になってしまっていた。そんな中、B型事業所を経営する峰子さんが一念発起、デパートの抜けたあとの駅前ビルの一角に、障がい者スタッフと共に運営するカフェをオープンしようと準備を開始したのだ。障がい者の力で徳島の活性化に一役買おうという意気込みである。ここにもヒーローが出現する。

 そしてひろみちは、小さな成功体験の数々と、さざ波から先に行かない限界を抱え、もう一歩外に打って出ることにした。徳島県内では障害者雇用プレゼンテーションも回を重ね、各界で活躍する障がい者のトークショー『助っ人祭』も恒例化でき、講師やコメンテーターとしての活躍の場も増えていた。賛同者は徐々に増えているが、実際の動きにつなげるには他の手立てが必要だと思った。そこで障害者雇用の先進地域に触手を伸ばしたのだった。

 東京には何度も足を運んだ。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子さんは、今では『助っ人祭』の常連パネラーだが、彼女の仲間たちと東京の公道を車椅子パフォーマンスで練り歩いたり、個性的な企画に参戦した。

「ほら、ごつい迫力があって、道行く人がみな振り返ってくれる」

 都会には強烈な主張を持ったパーソナリティーやグループの自己表現を受け入れる、あるいは受け流す空間がある。雑踏から何かが生まれ出ている気がした。その舞台を徳島に移したとき、彼女の格好よさは障害の有無を超えて人の心を揺さぶった。

 鳥取にも定宿ができた。鳥取県は官民挙げて障害者雇用に熱心だ。『助っ人』の取り組みに興味を示してくれて、障がい者専門就職情報誌の鳥取版構想などコラボが生まれている。

 今では「とくしま男子」と名乗って、日本各地を飛び回っては、徳島に戻って新しいエアーを送り込む日々だ。
コロナは空前の困難をまき散らしたが、一方で、そこから見いだしたチャンスもあった。県内でA型事業所も創設した。徳島県にも多くの外国人が雇用されているが、コロナで海外との移動が制限され、人手不足に悩む事業所も増えていた。阿南で椎茸を栽培する浜田農園も、人手不足がそれまで順調に拡大してきた事業の足かせとなっていた。ひろみちと浜田社長の出会いはゴルフで、歳も近い二人は自然と親しくなり、ひろみちのおしゃべりが浜田を魅了し、いつしか意気投合していた。

 浜田の決断は早かった。工場を新設し、ひろみちを施設長に就労継続支援A型事業所moguを設立した。2021年10月のことだ。スタッフはここで菌床椎茸の栽培ノウハウを習得し、浜田農園に就職するもよし、ここをステップに新たな就職先を見つけるもよし、手厚いサポートで「働いて暮らす生き方」を歩み出せる。浜田農園は椎茸販売で徳島県トップの年商を誇り、関西方面では業界で確かな地位を築いているので、就職先としても安心感がある。しかし自分の会社に縛り付ける意図はなく、「仕事を楽しみ、moguを通過点に、人生の楽しみを知ってほしい」と障がい者にエールを送る。目的は人材不足の解消以上に、理想の実現だった。

 開設から3年目にはスタッフの数も7人から20人に増え、ここで働く面白さや自信を得たメンバーの何人かは新たな雇用を得て巣立っていった。二人の挑戦者が手を組んで、障がい者の狭い雇用選択肢を打開すべく「働く場のモデル」をつくったのだ。

 起業4年目には「障害」の枠を広げ、阿南市でフリースクールを運営する『べんざいてんのお家』とのコラボで、不登校専門情報誌『助っ人』を発行した。そこで不登校や引きこもりに悩むさまざまな家族との出会いもあった。

 数百人の「障がい者」と接してきたひろみちの経験は、「障害」は限りなくグレーゾーンで占められていることを教えている。

「社会とのかかわりの難しさ」

 それを「障害」と呼ぶとしたら、大なり小なり、いつでも誰でも、周囲とうまくやれなくて、そこに壁が立ち上がることがある。

 扉の向こうで鍵をかける人と、外から扉を眺める人。時間だけが流れ、不動の扉に見えることもある。ただ、どんなところからであっても、小さな風穴が空くと、空気が流れる。扉の向こうとこちらで同じ空気を感じたとき、つながりを取り戻すチャンスも生まれる。

 ひろみちは今日もさざ波を立て、風を送り続ける。やがて大きなうねりになることを信じながら。

「僕って、そよかぜみたいなヤツやな」

 自画自賛である。
 風と共に現れる神出鬼没のひろみちに、あなたもどこかで出会うかもしれない。
【完】

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bcj-tokushima
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