森本 博通  【Series3】『地域コンサル助っ人』 始動するも、浮上せず

 ビジネスは楽しかった。アイデアマンのひろみちはその間にも福祉の世界で知り合った仲間たちと障がい者の手によるアート展やコンサートなどのイベントを企画したり、働きたい障がい者の相談を受けて、就職先の開拓や作業所の開設などに奔走した。

 彼が知り合った障がい者は、「当たり前」とされることが当たり前にできなくて四苦八苦しているところはあったが、十人十色の個性がひろみちにはおもしろかった。秀でた能力を持つ人もいた。しかし、一般の会社への就職は狭き門だった。

「障がい者の仕事って、なんで『清掃』ばっかりなん?」

「アホみたいに安い給料って、おかしいない?」

「けっこう能力高い子おるのに、仕事に活かせんのはもったいない」

 彼らが障害者雇用として就労した場合には10万円程度の月収を得ることができるが、それはほとんど清掃に限定されていた。彼らの中にはそれをつまらないと感じて、障害者雇用以外で仕事をすることもあったが、収入は月に1万円とか、子どもの小遣い銭程度だった。それでも生き生きと月収1万円の仕事を楽しむ姿もあった。母親も安くてもやりがいのある仕事を歓迎していた。

 ふつふつと湧き起こる疑問と、

「この子のピアノコンサートを開きたい」

「あの子のアートは幻想的で、カフェやレストランの壁に描いてほしい」

「やっぱりノリちゃんのPCスキルはすごいわ」

と、少しだけ彼らの事情に歩みよることで、彼らが活躍できる舞台は山のようにあると思うようになっていった。

 そして、そんな想いが彼の体内で十分チャージされたとき、

「よし、僕がやったろ」と、障がい者の仕事を開拓する『地域コンサル助っ人』設立に踏み切ったのだった。誰に頼まれたわけでもなく、どこからかの要請に応えたのでもなく、たった一人で思いつき、旗を揚げたのである。

 ひろみちには想いはあった。障害者雇用の選択肢を広げようという理念と、可能性を信じる根拠も持っていた。求人営業の経験や人脈もあった。しかし、事業計画と呼ぶには荒削り、見通しも計画もなきに等しかったと言えるだろう。

 ある日、ひろみちは妻と向き合った。起業の第一関門は妻の了解だ。

「僕、今の仕事辞めて、起業するけん」

 少しの沈黙があり、妻は表情を変えるでもなく口を開いた。

「ふ~ん。別にええけど」

 あまりにあっさりした返事に、少し気が抜けたひろみちだった。

「えっ、ホンマにええん?」

 妻の奈緒は今まで一度もひろみちの仕事に口を出したことがない。夫とは対照的で、けして大風呂敷を広げない。口数も少なく、地味な仕事もコツコツと正確にこなすことで周囲の信頼を得てきた実務派で、家計もまたしかり、妻がすべてを仕切っていた。二人の娘は中1と高2、お金のかかる年頃だった。奈緒の頭が瞬時に数値をはじき出した。そして今夜の献立の話をするように、一つだけ条件を加えた。

「ええよ。ほのかわり、毎月20万は家に入れてな」

 自分の収入と合わせて最低限家庭を維持するための数値だった。奈緒はそれ以上何も言わず、何も聞かなかった。ひろみちも多くを語らず、黙って頷くことで感謝と決意を伝えた。

 できちゃった婚から17年目、娘たちが日に日にまばゆくなっていく、そんな森本家のある夜の一幕であった。

 夜は空け、朝が来た。嬉々として起業にこぎ着けたひろみちだが、次に待ち受けていたのは、多難というより、真に受けてもらえない現実だった。

 徳島の県民性かどうかは知らないが、「愛想はいいが、本音がわかりづらい」ところがある。人当たりはやたらと柔らかい。田舎道など歩いていると、見知らぬ人がニコニコしながら挨拶をしてくれる。おしゃべりをすれば、何度も「ほんまやな」と頷いてくれる。で、それだけだ。なにか一手間がかかることは、とても面倒がる。

 ビジネスもしかりで、熱心に話を聞いてくれているので納得していると信じて、「では契約を」となると、「あんたの話はようわかったけん、また来なよ」と追い返される。「また、今度」に次はない。いろいろ気遣ってくれるので逆に契約の話が進めにくく、本心をつかみかね、ビジネスライクに物事が進まないのだ。

 障害者雇用についても、ほとんどの会社が肯定的な反応を見せる。一応は話を聞いてくれる会社は少なくなかった。

「障害があっても、能力があるんだったら、雇うてあげたらいいでえ」

「森本君はええことしよるな」

と感心はしてくれたが、いつも話はそこで終わった。個々の経営者も採用担当者も理解は示してくれるのだが、自分は面倒なことに手を出したくなかった。ひろみちの話を本気で聞いてくれたある社長が言った。

「わかるけどな、法定雇用率を満たすより、罰金払うたほうが安上がりやけんな。雇うたら雇うたで、慣れるまでは面倒見る担当者もつけんといかんだろ。周りの従業員にも、なんやかんや説明して、協力を頼まないかん。ほらもう大変なでよ」

 徳島の障害者雇用率は全国平均を上回ってはいるものの、職種は限られている。「なにかと大変だ」というイメージが先行していて、ひろみちのアプローチは現実味のある事業として見てもらえなかった。熱弁の末に、頂き物のお菓子のお裾分けを持たされて、肩を落として帰る日が続いた。

 そしてその間にも、毎月家に入れる20万円の約束は待ったなしだった。結局、ツテを頼ってのアルバイトに奔走することとなった。今のひろみちには何の後ろ盾もなかった。『地域コンサル助っ人』の名刺は、何の重みもない、ただの紙切れだった。むしろ、定職がない困窮者の証明書のようなもので、アルバイトも本業も、買いたたかれることも珍しくなかった。

「買いたたかれとるんは分かっとっても、今、お金がいるけん、断れん。断らんかったら、また次も安売りせないかん」

 悪循環だった。価格交渉をするだけの余裕がなかったのだ。

『助っ人』に助っ人の登場

 そんな事業に転機が訪れる。助っ人の登場だった。

 行きつけの居酒屋で飲み仲間ととりとめのない話をしていた。事業はまったく軌道に乗っていなかったが、障がい者によるコンサートの実施や障がい者アートによるカーデコレーションの依頼など小さな成功例はあり、ひろみちの前向きなエネルギーは枯渇することはなかった。「いける」という感覚だけは揺るがなかった。

「僕な、障がい者専門の求人雑誌を発行したいんよ」

 あれこれ語るひろみちの話を聞いていた小谷瑞穗が言った。

「ひろみち、それ、クラウドファンディングでいけるんとちがう」

 瑞穗は大学卒業後に大手企業で広報の仕事をしていた経験がある。新興の小売チェーンで、独特の品揃えと店舗レイアウトが意表を突き急成長した会社の、その成長期に立ち会ったのだった。そんな経験も手伝ってか、新しい事業に関与するのが好きで、前人未踏の事業となると一人ワクワクする。ひろみちのおしゃべりを聞くのは楽しかった。

 瑞穗は直感した。「これ、いけるかも」

 すぐに脱線するひろみちの話から、現場の空気が読み取られた。一枚の壁が障がい者の可能性を制限している。壁はときとして紙一枚の薄さだったりもするが、障がい者という壁紙が分厚いコンクリートを連想させている。この思い込みを突破できれば、企業にとっても人材確保の良いプールになるはずだ。力点を置くのは、障がい者への同情や企業の社会的責任ではなくて、人材確保だ。

「キーワードは『選択肢』や。これでいこ。ひろみち、クラファンしよ」

 クラウドファンディングが何かもよく分かっていないひろみちを相手に、瑞穗はずんずんと準備を進めた。

「あんたの想いをストレートに言葉にしたほうが訴求力がある」

「彼らは、こんなもんじゃない」

「ほれや、ほれでいこ」

 思いついたのは障がい者の能力発掘イベントで、障がい者自らがステージパフォーマンスをし、特技をプレゼンテーションするというものだった。その「助っ人祭」の実施費用として、50万円の目標額を掲げた。ちなみにクラファンは、期限内に目標額に到達しないと、せっかく支援を申し出てくれた人たちの寄付も無効となり、ファンディングそのものが成立しなくなる。『地域コンサル助っ人』の名前を知っている人など、数知れている。障害者雇用ならさまざまな機関があり、工夫を凝らした就労支援施設もある。そんな中で、障がい者に可能性を見いだそうなどという企画が受け入れてもらえるだろうか。締め切りまでの40日間、普通なら不安な日々が過ぎるのだが、そこはひろみちである。

「今日もまた一人寄付してくれた」

「県外の人もおる」

「この人、5万円も寄付してくれて、『応援してます』ってコメントもくれた」

と、毎日経過を見るのが楽しみだった。

 そして最終的には112人の応援者から90万円を集めて成功裏に終了した。

 このクラファンには後日談がある。東京のとある会社との長い付き合いが始まる契機ともなったのである。

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