森本 博通 【Series2】ひろみちの足跡― 心の赴くままに、たった一人の旗揚げ
『地域コンサル助っ人』の設立はひろみちが37歳のときで、起業としては遅めのスタートである。それまでの彼はいくつかの職種を渡り歩いてきたのだが、それはチャレンジ精神が旺盛だったわけでも、理想のために突き進んできたわけでもなく、その場その場での判断、あるいは打算の結果だった。
彼の足跡をたどってみよう。
10代のひろみちは、遊ぶこと、遊ばせることの才能を自負していた。天職は保育士だと思っていた。ところがある事情で方向転換する。というのも、保育士の給料は安かった。結婚して一児のパパになるには心許ない。そこで安定収入が保証される福祉の道を選び、障がい者入所施設に勤めることにしたのだった。
その施設は人里離れた森の中にあるきれいな外観の建物で、重度知的障がい者が日々の暮らしを営んでいた。仕事の覚えもいいひろみちは先輩にも可愛がられ、若くて体力もあるので、いろんな仕事を任された。すぐに入所者の顔も名前も接し方も覚えていった。彼らの中には身の回りのことが自力でできず、食事や排泄に手助けが必要な人も珍しくなかったが、最初は戸惑っていた介助も慣れるもので、コツのようなものもつかんでいった。
ただ、大変だったのは、命にかかわる管理だった。ある青年はやっかいな持病があった。際限なく水を飲み続けるのである。力づくでも止めさせなければ、命の危険があった。彼がいつからそうなったのかは分からない。ただ、ひろみちが出会ったときには、彼の「渇き」へのトラウマは体の叫びをも無視するのか、放っておくといつまでも水を飲み続けるのだった。そんなさまざまな症状を抱える入居者を、特に疑問も持たず、ルーティンワークとして対処するのが施設職員の仕事だった。
タフなひろみちは大変な仕事の中でも何かしら面白みを見つけ、同僚や入居者と楽しい時間を過ごすこともあった。気が滅入りそうなときはジョークに変えると、現場の笑いや息抜きになった。しかし、いつまでたっても、宿直だけは消耗戦だった。夜間の人員配置は「人は夜眠る」ことが前提になっている。広い施設に2人のスタッフ、1人で30人を見る計算だ。皆が寝静まれば静かに夜が過ぎる。ところが精神疾患はしばしば体内時計を狂わせる。その城の中は、人それぞれに時計のリズムが違っているのだから、夜は、夜ではない。無理矢理寝かせようとすれば、嫌がって騒ぐ人がいる。なだめたり、怒鳴ったり、脅したり、なんとかベッドに連れ戻すと、今度は誰かが歌を歌っているのか、その声に反応して別の誰かが叫ぶ。
「静かにして!」
その金切り声が廊下を走る。
寝ていた者まで起き出して、まるでお祭り騒ぎだ。上の階の同僚から応援要請があるが、ひろみちの2本の腕と2本の足では手出しする余裕がない。
「そういえば『千と千尋の神隠し』の釜爺は手が6本あったよな。うらやましい」
呆けるしかなかったひろみちにやっと救いの朝が来る、そんな怒濤のような時間が、今でも思い出す「宿直」の風景である。
その当時、重度知的障がい者を対象とした施設は閉鎖的だった。近年は精神疾患や認知症の人たちにも社会の中で暮らす道が模索されているが、かつては世間から隔離された収容施設の色合いが濃く、彼らが外の世界に出かけることもなく、おそらくは建物の中で生涯を終えるのだった。職員もまた閉鎖空間の中で長い時間を過ごす。時に強いストレスや怒りの感情に襲われる半面、手のかかる入居者に愛おしさや愛着を感じることもあった。
愛菜という女性がいた。彼女はひろみちと同じぐらいの年齢だった。自分の殻に閉じこもっているようなときもあれば、楽しそうに夢見がちな目をしているときもあり、無邪気な笑い声がかわいかった。ただ、悪癖があった。自分の排泄物をトイレの扉や壁に塗りつけるのだ。排泄物アートは廊下に進出することもあり、目が離せなかった。その女性が子宮癌と診断されたのだった。
医者は言った。
「もうできる処置はありません」
なんとも切ない結論だった。涙ぐむスタッフもいた。見た目は元気そうで、いつもと変わらない子どものような笑い声がスタッフの心を重くした。
「もう、叱るのやめよう」
「トイレでもどこでも汚していい、好きなようにさせてあげよう」
誰が言い出したのか、スタッフの間でそう決めた。せめて残りの人生をのびのびと過ごさせてあげたいとの想いだった。
それから愛菜は、赤いモノ、黄色いモノ、茶色いモノでグラフィティを楽しんだ。スタッフは小言も言わず、壁を洗った。
「今日の作品、なんかシュールでないで」
そんな冗談もスタッフの間では慰めとなった。
いつもと同じ場所の壁をこすりながら、ひろみちは犬のマーキングを連想した。自分のテリトリーにニオイをつけてまわる。もしかすると、生き物の本能かもしれない。
「この子は、自分が生きとる証を、一生懸命残しとるかもしれん」
そんなふうに考えると、彼女が愛おしく思え、汚物掃除の不快さもどこかに消えていた。
そして数ヶ月がたっただろうか、彼女の検診の日、スタッフ皆で明るく送り出した。
その日のうちに彼女は森の城に戻ってきたのだが、付き添ったスタッフから出た言葉は耳を疑うものだった。
「あのな、癌、消えとった」
・・・・・・
このエピソードはおしゃべりなひろみちもめったに口にしない。誰かに話すと嘘っぽく聞こえそうで、それがなにか大事なものを汚してしまいそうで、聞かれることがなければ忘れていた出来事だった。
5年の歳月が流れた。
多忙な勤務をこなしながらも、20代前半のひろみちは二人の娘に恵まれ、パパという役割も楽しんでいた。男兄弟で育ったひろみちは、女の子がこれほどかわいいのかと、彼女たちのパパであることに鼻高々だった。若くて優しいパパは保護者たちの間でも人気者となった。遊びのときだけ大活躍のパパだったが、妻にも、娘たちにも、まずまず上出来の父親ぶりだった。
ある日の宿直が明け、ほとんど眠れない夜を過ごした後、いつものように洗面所で顔を洗ったひろみちは、鏡の中の男に驚いた。目尻はつり上がり、唇は片方、かすかにゆがんでいる。目は疲れているというより、冷たい。
「僕じゃない!」
うちで髭を剃るときは、娘たちに頬ずりしたときにチクチクしないよう、丁寧にカミソリを入れる。どの角度から見ても、優しい男の顔しか映らない。「世界一優しい男」だ。それなのに、今、鏡の中からひろみちをにらみつけている男は、娘たちに近づけたくない意地悪な目つきをしている。
「もうこの仕事辞めよう」
自分を取り戻すため、職場を逃げることに決めたのである。
ここでの5年間の経験がそのまま新たな人生を方向付けたわけではない。ただ、逃げたかったあのときの感情やそこで目にしたもの、彼の、彼女の、あの表情、声、心残り、記憶の数々は心の奥深くにたたみ込まれた。
天職は営業? ラーメン店店長? それともコーディネーター?
ひろみちにはいろんな「天職」がある。いや、なんでも「天職」にしてしまう才能かもしれない。
転職後の足跡を見てみよう。次は求人誌の営業で才覚を開花させる。
立て板に水というしゃべりではないのだが、自然な相づちと明るい口調で、知らず知らずに相手が心を開いてしまう、そんな才覚がひろみちにはあった。だれかれとなく親しい関係を築き、営業成績は3年連続トップ。そして天狗になった。
会社は徳島での成功をベースに奈良へ事業拡大することになり、新しい事業所の営業に実績を考慮してひろみちを抜擢した。意気揚々と単身奈良に乗り込んだひろみちだったが、行く先々で今までとは違う空気に遭遇し、思うように成果は出なかった。鼻高々のスタートが、鼻っ柱はあえなくへし折られた。地域の事情に不案内では、広告営業など一筋縄ではいかないことを思い知ることになったのだ。再度のチャンスを願い出た彼に、会社は奈良県で新規にオープンするラーメン店の経営を任せた。
「しばらくは良かったんやけど、すぐに客足が減ってね。奈良の人の口に合わんかったんだろうね。どうしたら気に入ってもらえるか、それはもうヒアリングと試行錯誤です。認めてもらえる味にたどり着くまでは、ホンマに苦労しました。その間も、接客ベースだけは崩さんようにしようと、お客さんが帰るときは必ず目を見て『ありがとうございました』、感謝の気持ちを伝えること、これだけは徹底しました」
そんな地道な努力の甲斐があって、やがてお店の前には行列もできるようになる。目標は24席の店舗で1日300杯の売上だ。人気店の範疇に入れてもらえる。スタッフの採用や教育にも工夫を凝らした。経験より個性、面白そうな人材、育て甲斐のありそうな人材を優先し、親のような気持ちで丁寧に指導した。スタッフと一緒になって、味やサービスのあり方を検証し、意見を言い合い、「また行きたいラーメン屋」を目指した。
店の雰囲気が少しずつ変わっていた。スタッフの一体感が掃除の行き届いた明るい店内とスープのいい香りを漂わせ、帰り際に「ごちそうさん」「うまかった」と言ってくれる客の声も多くなり、常連客も増えていった。そしてついに、一時は閑古鳥が鳴いていたラーメン店が有名店と肩を並べ、目標を達成したのである。
「やりきった感がありました。何回もチャンスを与えてくれた会社には感謝しかありません。若いスタッフも着実に成長したし、育っていく喜びを味わうことで、僕自身も成長できたと思います。自分の中で、もう十分納得したけん、そこは辞めて、徳島に帰ってきました」
ひろみちはやっぱり徳島と家族が恋しかったようだ。
次の仕事は福祉分野での新規事業の開拓だった。勤務先は社会福祉法人カリヨン。B型事業所と移動スーパーの立ち上げを担うことになる。障がい者施設での経験と営業、接客業と渡り歩いた20代の経験に磨きをかけて、自分なりのアイデアや対策を織り込んでいく絶好のステージとなった。
過疎化の進む徳島では高齢者の一人暮らしが増える一方で、身近な近所の商店は次々と店をたたみ、日々の買い物は国道沿いのスーパーかコンビニに集約されていった。車の運転ができなくなったお年寄りは買い物にも不自由する。そこで自宅まで届けてくれる移動式スーパーが注目されることになったのだ。対象地域は石井町。徳島市に隣接していて、子育てしやすい町として人口増も見られる地域だが、そこでも高齢者の一人暮らしや買い物アクセスには大きな課題があった。その課題に対応し、障害者雇用の拡大と高齢者サービスの充実というダブルメリットとあって、行政も協力的だった。この新規ビジネスを、仕入れ先から販売ルート、スタッフの配置まで、ひろみちは一手に引き受け、デザインした。
「いろんな人が協力してくれて、次々にお客さんを紹介してくれるんですよ」
普段の買い物に苦労しているとお年寄りから相談を受けていた議員は、
「山本さんいうおばあさんが一人で住んどうけん、行ってあげてよ」と、初回はご自宅まで同行してくれるほどだった。
移動スーパーの車は障がい者と支援者のペアで転がすのだが、双方の相性も大事だった。意思疎通がうまくいっていないと、間違った商品をお客さんに渡してしまったり、頼まれた商品を届け忘れたり、基本的なミスにつながってしまう。そのため、一つ一つの工程を丁寧に確認する必要があった。
例えば木下茂の場合、決まった順番でユニフォームに着替え、決まった蛇口で手を洗い、順番にカートを載せて、最後にファイルを点検し、所長に挨拶をして出発する。どの工程も手抜きをせず、けして端折ることはない。うっかり下駄箱の靴をそろえ忘れようものなら、もう一度戻って、そこからやりなおしさえする。ごまかすどころではなく、「テキトー」や臨機応変が苦手なのは茂に限ったことではない。一つ一つの工程をきっちりやらないと気が済まない。だから、釣り銭のごまかしや余計な商品の押し売りは、入り込む余地がない。順番が大事なのだ。これを無視して、横から指示を入れると、パニックに陥れることになる。そういうときは、もう一度「最初からやりなおし」。山本さんの家の庭先に車を止めて、ピンポンを押すところから、山本さんにもお付き合いいただく。
この事業所でひろみちはサービス管理責任者相談支援専門員として600人にのぼる障がい者と出会い、彼らの話を聞き、共に働いてきた。そこでは健常者と障がい者の違いより個人の違いのほうがずっと大きかった。個性や性格だけでなく、能力もしかりだ。だが、ありのままの個々の障がい者と、社会がイメージする「障がい者」の間には相当な違いがあるように思えた。
「知らんけん、イメージが先行するんかな」
「突発的な行動とか、ようせんよ。パニックのときには、手足を振り回したりするけん、暴れているように見えるけど、怯えとるんは彼らのほう。悪いことを計画したり、人を攻撃したりは一番苦手と違うかな」
ひろみちが知る数百人の障がい者は、気立てが良く、律儀で融通が利かず、恥ずかしがりやで、犯罪の被害者になるリスクはあっても、加害者になることは想像しにくかった。そんな特性も、一人で暮らす高齢者宅への訪問販売を任せられる安心材料の一つだった。
移動スーパーで重宝した相方は、戸田隼人というなかなかイケメンの青年だった。どこか遠くを見ているような瞳が、クラシックな映画俳優を連想させないでもない。瞬く間にファンができた。移動スーパーではお買い物した荷物を家の中まで運んであげたり、高齢者の手を引いてあげたりもするのだが、ご婦人のお客様は荷物はひろみちに、手を預けるのは隼人君と決めていたようだ。
「待っとったんよ」
笑顔がシワの数を増やしながら、天気の話から今年のトウモロコシの出来具合、隼人君は彼女はいるのかと、思いついたままを口にする。隼人が照れ笑いをすると、
「こっちの竹輪も、もろとこか」
と、買い物の数が増える。
「あかん、買いすぎです。さつま揚げも買うたのに、両方はよう食べんだろ。どっちかにしとき。ほんなにいっぱい買わんでも、隼人君は、手、つないでくれるけん」
そんなちょっとした掛け合いと気遣いが持ち味の移動スーパーとなった。
こうして開始した事業は、決まった場所へ、決まった日時に、ほとんど同じような品物を確かに届けることで、安定した収益も確保していった。転職から7年、ビジネスの面白さと多彩な人たちとの出会いに魅了されて、充実した時が流れていった。